職人としての背景 

読み物

今につながる原点

なぜ服を作る仕事を選んだのか 最初に教え込まれたこと 今も残っている感覚

私の母が服飾専門学校の教員だったので、物心ついたころから布や糸が身近にありました。
はさみで布を切る音や、ミシンを踏む聞こえる環境で育ち、当時は手作り服が主流だったので母が従妹たちとのおそろいの生地で季節ごとに縫ってくれていました。

中学生になると「進路」なるものが現れ、将来のことを考えるよう言われても全く先のことが浮かばないのです。未来も希望もやりたいことも、ないわけではなけれと決めてもなく。2年生になったある日、私も母のように服を縫う人になりたい。よい物を作れる人になりたい!と頭の上に何かが降りてきました。

学びと技術の積み重ね

服飾専門学校 縫製工場での工業用パターン アパレルメーカーでのパタンナー経験 毛芯仕立ての学び 資格(2級技能士・准教員)

それからは意識して選択をするようになり、専門学校に行くのだから高校は普通科に進学して基礎知識。その後は職人を目指し技術重視の学校を選んで専門知識を習得する。道筋ができました。

高校時代に家庭科で初めて浴衣を縫いました。その後、専門学校でも浴衣を手縫いで仕立てる機会があり、高校の時とは全く違い、ポイントがわかり、きれいに仕上がることに驚いたのを覚えています。しかも短時間で!!これが、専門的な指導と知識の力なのだと実感した瞬間でした。

専門学校では洋裁を専攻し、4年生の時には大きなホールで行われるショーのために衣装製作を行いました。4年間の学びを通してオーダーメイドの基礎を身につけ、2級婦人子供服製造技能士の合格と専修学校准教員の資格を取得しました。

卒業後は、高級婦人服ブランドのデザイナーが出入りする縫製工場に勤務し、緻密な縫製が求められる現場で、工業用パターンを学びました。既製服の早縫いの熟考された技にただただ驚く。ベテランも新人も同じクオリティーで再現されるためのあらゆる工夫は今も役に立っています。

その後、アパレルメーカーへ出向となり、デザイナーのもとで妥協なき品質にこだわったパターン作りを行いながら、デザイン画から工場向けの型紙を作成する仕事を担当しました。(修行でありデザイナーは師匠)

やがて大量生産の現場に身を置く中で、「着やすく、良いものを作る」ことの限界を感じるようになり、
毛芯を使ったオーダーメイドの技術を学ぶため、再び学び舎に戻りました。

独立と仕事の変化

30歳で独立 ネットを使った個人オーダー 聖書カバーの長期製作 衣装制作・終了した理由

28歳のとき、アパレル関係の仕事を辞め、教師にならないかという誘いも受けていました。
けれど当時の私は、まだ知識も経験も足りないと感じており、進むべき道に迷っていました。

そんな中でふと、
「オーダーの基礎があり、既製服の縫い方を知っていて、デザイン画から型紙を作ることもできる。これは、独立して服作りを仕事にできるのではないか」と思い至りました。

その背中を押したのは、友人のお義母さまの言葉でした。
「40代で独立しようと思っているの?
40歳で始めたら、軌道に乗るまでに40代が終わってしまう。
今から取り掛かるのも、いいのでは?」

まずは親の服、次に伯母、そしてご近所の方へ。
自分の服も含め、とにかく毎日縫う日々が始まりました。
縫い続けること自体が、純粋に楽しかったのを覚えています。

ちょうどインターネットが普及し始めた頃、新しいもの好きだった私は、親に内緒でホームページを作り、ネットを通じて仕事を受け始めました。
最初のお客様は東京在住の方で、ワンピースを製作し、とても喜んでいただき、その後も長くお付き合いのあるお客様になってくださいました。
帝国ホテルに宿泊して仮縫いを行ったことやタカラジェンヌとの会食も、今では大切な思い出です。

しかし、縫い続ける中で体を壊し、慢性疲労症候群と診断されました。
疲れも忘れて仕事をしていたことが、原因でした。

その頃、地元のクリスチャンの方に頼まれて製作した聖書カバーが評判となり、ネットショップでのやり取りへと発展していきました。
最終的には、3型・21色展開の高級合皮ファスナー付き聖書カバーを、約1,200冊製造・販売しました。

体調が回復し始めた頃、アイドルグループのステージ衣装製作の依頼を受け、デザイン決定から仮縫い、本縫いまでを担当しました。3週間、徹夜を重ねて製作し、そのたびに体は限界でしたが、自分の限界を超える挑戦ができたこと、途中で投げ出さず、最後までやり遂げたこと、そして応援するファンの方々からの言葉は、今も人生の宝です。

一方で、作業単価が100円という現実があり、継続は難しいと判断し、3期でリタイアしました。

いまの立ち位置

今は量を追わない 長く使うものを作る 無理のないペース

40代になると、祖父母や伯父伯母の入院が増え、父を見送り、母も緊急入院を経験しました。
50代になり、今度は自分自身の老いも実感するようになりました。
人生の良い時間は、思っているより短いのだと感じています。

世の中にはあふれるほどの商品があり、それを選ぶ楽しさも確かにあります。
けれど、良いものを少しだけ持つ暮らしも、とても豊かなものだと気づくようになりました。

誰かに説教をするつもりはありませんが、人生は本当に短く、終わりに向かう旅路でもあります。
欲張りすぎず、今あるものに目を向け、大切に使い続けること。
いまの私は、その価値を信じて仕事をしています。

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