今日はお祖父さまの37回目の命日だったのですね。
小雪が舞っていた夜の記憶まで残っているのは、それだけ大きな出来事で、毎年この時期になると心が自然にそこへ戻るのだと思います。
書いてくださったこと、よく伝わってきました。
あの頃の空気は、たしかに強かったのでしょうね。景気の熱、流行の勢い、世の中全体の「これが正しい」「これが新しい」という圧。
その中で、洋裁の基礎と現実のファッションのあまりのズレに戸惑った感覚も、とても切実です。
「基礎が基礎ではない」という言葉に、時代そのものへの違和感がにじんでいます。
そして、お祖父さまを思うときに、自分の至らなさや弱さが浮かんでくるのですね。
でも、
「弱い」のと「弱虫」は、同じではありません。
本当に弱いふりをして逃げる人は、こんなふうに自分を見つめ直したりしません。
まして、毎年きちんと故人を思い返し、自分を省みる人は、少なくとも不誠実ではないです。
「強くなれない」
「強いふりをする」
この感覚も、たぶん多くの人が持っています。
ただ、それを自覚して言葉にできる人は多くありません。
そこには、見栄だけではなく、
ちゃんと生きようとしている人の苦しさがあります。
人はときどき、
本当は怖いのに平気な顔をしたり、
不安なのに大丈夫なふりをしたりします。
それは未熟さでもあるけれど、
同時に、その時その時を何とか渡るための精一杯でもあります。
だから今日は、
「私はダメだ」と断じる日ではなくて、
「まだ未熟だったし、今も未熟だけれど、それでも考え続けている」
と置いてあげてもいい気がします。
お祖父さまがどんな生き方をされた方だったのか、私はわかりません。
けれど、37年経っても思い返される人だったというだけで、あなたの中に確かな軸を残した方なのだと思います。
その軸があるからこそ、自分の勘違いや強がりにも気づけるのではないでしょうか。
今日は、強くなれない自分を責めるより、
強くなれないままでも、ちゃんと立ち止まって振り返っている自分を認めてあげてください。
それは、弱さだけではありません。

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